「量」の世界に苦しむ中国の子どもたち

2021/10/22


中国に興味関心の強い人はおそらくご存知のように、いま中国では教育に関する大きな改革が始まっています。
これらは「双減政策」と呼ばれ、ざっくり言えば「宿題」と「塾通い」をやめよう(減らそう)と言うものです。その狙いは子供にかかっているプレッシャーを減らして子供の健康を守ろうということのほか、高くなりすぎてしまった教育費を抑制し少子化対策につなげよう、というものです。
このことについては前にもnoteを書きました。そこでは個人的な予想として、統一大学入試である高考の重要性が変わらない限りは親たちの教育熱が冷めることはなく、目に見えるような効果は出ないのではないだろうか、と言うようなことを述べました。
実はこの他にももう一点、僕が中国の人々を見ていて「おそらくいまのような構造が変わることは難しいだろう」と思う理由があります。
それは、中国において支配的な「量」の発想につながるものです。

ある日本語教師の友人の話

日本語教師をやっている友人(日本人)に聞いた話ですが、やはり「中国の子どもはかわいそう」だといいます。毎日ものすごい量の宿題をやったり、習い事や塾をいくつもこなしていたり。相当な体力的・精神的ストレスの中を生きているということです。
日本語の練習で「あなたは毎日、何時に寝るんですか?」と聞くと、「12時です」とか「深夜1時です」とか、およそ子どもらしくない答えが返ってくることもしばしばあるとのことです。これだけ聞くと、たしかに政府が改革に乗り出すのも無理はないよな、という感じがします。
しかしその友人が違和感を持つのは、そのような過剰に頑張る子どもたちの姿だけではなく、親たちの態度だといいます。もちろんそのような大量の勉強や習い事の大部分は彼らの親からもたらされているわけですが、そこには「とにかくなんでもやらせとけ」のような発想が見え隠れします。
その友人は日本語教室に勤務している他、家庭教師のようなこともやっており、直接的に日本語を学ぶ子どもの親とやりとりすることもあるそうです。しかしその親たちは、子どもたちがしっかり授業を受けているかどうかは監視したがるくせに、実際に何をやらせているのかという内容についてはてんで無頓着だといいます。
お金だけ払って「あとは任せたから」と言わんばかりに、「その時間、教室にいるか(あるいはオンラインで先生と通信しているか)」だけを見ていて、実際に彼らがそこで何を学んできたか、あるいはその進度——つまり学習の成果については、なんにも見ていないんじゃないかという親が多いそうです。
たとえば日本語教師として課題(日々の負担にならない程度の軽いもの)を出しても全然やってこない子どもがいたとして、「親御さんからも言ってあげてください」と言っても全く知らんぷりか、ちょろっと注意して終わり。そしてまた子どもは何もやって来ず……みたいなことが繰り返されることもあるとか。忙しくて辛そうな子どもにきつく注意するわけにもいかず、どうしたものかとその友人は嘆いています。
このような親に関しては、同じく中国で日本語教育に携わっていらっしゃるくまてつさんが、それ以上いけないことをnoteに書いていらっしゃいます。
そもそも親だってたいした教育を受けていないんです。だからどうやって子どもを頑張らせたら良いのかなんてわかるはずもありません。 ひたすら根性論で押し通そうとします。
かくて、ただただ課題を押し付けられ、その中から効果的な学びを得られない子供と、そこに気づかない親——という構図があるようです。

どこまでも「量」の中国

このような構造が生まれるのは、くまてつさんの書いているように親の認識・知識不足ということももちろん大きいのですが、それ以上に中国における「量」の発想によるものと言えるのではないかと思います。
中国の人々は何かを評価するにあたって、物事のスケールや規模、または数字の大小であったりと、ともかく具体的な「量」を重視する傾向にあります。大きいもの、多いものが「よきこと」とされがち、と言いかえてもいいかもしれません。
子どもに過剰な教育を強いる中国の親たちは、子どもにどれだけの「量」をやらせることができるかを「よい教育」の基準としているフシがあります。そこで何を学んだのかという個別具体的なことではなく、とにかくどれだけの「量」をこなしたかでそれを評価する傾向、とも言えます。したがって、時間にスキマがあればそこに何かを詰め込んで「量」を稼ごうとするために、子どもの負担が大きくなるのです。
僕自身が中国人と交流して感じることですが、この「量」の発想というのはかなり中国人に根付いているものです。中国政府のやろうとしていることはまさに教育の「量」の削減ですが、そうはいっても「量」が重要であるという社会通念は変わりません。したがって、これからも大きな変化は起こらないのではないのかな、とあくまで個人的にですが予想しています。
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まあ、そもそも「量」の発想それ自体は良いことでも悪いことでもないので、それを変えようとは言えないし、そもそも変えるべきでもないとは思います。しかし、だからこそこれからの中国の子どもが心配です。「双減政策」が実施されても結局は何らかの形で「量」を子供に強いる構造が保存され、結局は何も変わらないということにならなければ良いのですが。
諸々がうまくいき、子どもたちが過度のプレッシャーから解放される未来を願うばかりです。

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